久々に雨がちの一日となっております己的地元。
昨日の晩から随分と暖かいなあとは思っておりましたのですが。
年末年始、寒さが厳しかったせいか。
その暖かさがちょっと不気味に感じた位で。
で、冬に暖かいと己的家人などは直ぐに地震の心配などする訳です。
そしたら、昨夜はW歌山で震度3。
今日は、T木で震度4でした。恐るべし。
今週末は金土と久々の温泉旅行を控えておりますので。
己も、大丈夫かなあと随分手前勝手な心配などしてみたり。


手前勝手ついでに、つらつらと。
更に手前勝手な感傷的覚書を書いてみたり。
長らく己的Blogや雑記をご覧下さっていた方々には。
割と馴染みのある、例によってどうでもええ事を。
碌でも無い身勝手さで書き書きしている文章が続きますので。
いやな予感がした方はかーるくスルーの方向で一つよしなに(平伏)。




雨、一月、地震、と来ると。
あの大変な一時期の事を先ず思い出す訳ですが今でも。
でも、その記憶も実感もかなり自分の中では。
遠いものになっておりますです。
大きな被害に見舞われた訳ではなく。
ただ日を追うごとに実態が明らかになっていく被災地の状況を。
テレビ画面や新聞の紙面で眺める側にしか立っていなかったのですが。
それでも、足元を支える大地の本当の恐ろしさに触れた経験は。
それからの数年、自分自身の存在の根っこを揺さぶり続けていた。
その筈ですのにね。


生きていく、という行為の中に。
必ず含まれる、理不尽な暴力や死への恐怖。
大切なものを不意に失うかもしれない恐れ。
それと日常の中で向き合い続ける事は。
人の心を何処まで疲弊させ蝕むのか。
その事を思うだけで眠れない日を幾つも数えたあの頃。
自分の中で何かが折れてしまうかもしれない怖さを。
夜毎弄ぶ事で、そして。
日のある内は、日常の生活や大切な人と繋がる事を必死で求める事で。
でも己は逆に。
それらから何とかして逃れやうともがいていたのかもしれない。
それが間違っていたとは思わないのですが。
もうちょっと、明るい方へ正しい方へ。
それは恐らく自分に取ってはよりしんどい方向だったのだと思いますが。
あの、稚拙な苦行じみた物思いを、向ける事が出来たなら。
もうちょっと、自分の根っこに確かなものを差し込む事が出来たかなあと。
そんな、せんの無い事を今更ながらに考えたり等してみたり。
てーのも。
その時一番大切にしていた(つもりだった)人を。
その夏に失ったからなのですが(マテぃ)。


そんな感じで。
雨と、一月と、地震な気分の本日の己だったのです。